kikurageoisii’s diary

東京のOL23歳 

子供が出来たら

 月に数回のコース料理、休みが来る度の海外旅行。私の家族は仲が良くて少しだけ裕福なのかもしれない。そんなことが分かるのにさほど時間はかからなかった。

 小学生の頃、何となくあの家はお金があるとか、あの子は片親だとか、そんな噂ばかりが駆けずり回っていた。今考えれば他人の家の事情などどうでも良いのだが、正直で残酷なあの狭い世界だけがあの頃の全てだった。

 学級崩壊もしたし担任も校長もストレスで辞めた。問題児と目が合った時、笑っていたと因縁を付けられ、頭から雑巾を絞った後のバケツの水をかけられたことも思い出した。

 中学からは私立に通い、授業中の静けさに驚いた。誰も叫んだり立ち歩いたりしないし、女子しかいない世界。そして世の中には"上流階級"らしきものが確実に存在することを改めて思い知った。幼稚園から大学まで私立で育つ子供は、私のように田んぼの横を歩いて通学し、問題児に理不尽に暴力を振るわれることも、障害を持つ子供が同じ学校にいることも無いのだ。高校生くらいまでは、世の中の格差や多様性を知るために、自分に子供が出来たら無理して私立に通わせずに公立に通わせることもアリかもしれないと思っていた。しかしだんだんと、"上流階級"の人達は下手したら一生、言い方は悪いが"下の人達"と交わる機会がないのかもしれない、と感じてきた。箱入り娘が一生箱のまま大切にされるのなら、それ以上の幸せはないのではないか。

やはり子供は私立に入れたい。

 

 田舎特有の大きい日本家屋、点在する一体誰に貸しているのか分からない土地。相続とか、面倒なんだろうなあ。と、気を重くしながらたまに帰省をする。目に映るのは国道沿いのファミレス、馬鹿でかいラブホ、倉庫に畑や田んぼ、親戚の家など、地方都市のありふれた風景ばかりである。東京からさほど遠くない距離なので、実家から職場に通おうと思えば通える。でも家に居ると堪らなく息が詰まる。だから私は社会人になるタイミングで一人暮らしを決意した。

 冒頭に書いたように家族や生活や愛され方は完璧な筈なのに、私は小さい頃から何一つとして親に心の内を明かせていない。お酒を沢山飲んでしまうことも、ベランダでタバコを吸う事も、それなりに男の子と付き合ってきたことも、たまに発作のように変な行動をしてしまうことも、意味もなく悲しかった日々のことも、意味があっても悲しい今の事も、何も知らない。何一つ知らせていない。

 親に対する自己表現の仕方がこの歳になっても分からない。この歳になったからこそ、今更出来ない。他の家庭はどうしてきたのだろうか。

 子供から大人になるタイミングで気付いたのだが、両親は多分、仮に私達が親子ではなく同級生だったら、絶対に友達にならないようなタイプの人間なのだ。

 

 私は生活のなかで2つ、ハッキリと覚えている、物事をするのをやめたタイミングがある。

1つ目は勉強。中1の期末テストが返ってきたタイミングである。私はめんどくさくてテスト勉強をしなかった。でも別に問題はなかった。点数は高くないが勉強しなくても大学まであがれることに何故かその瞬間改めて気付いた。以降私は勉強をするのをやめた。

2つめが家族に自己表現をすることだ。

夕食の時に自分の話をした時、いつも母親が私の話から自分の話に綺麗に切り替えるのに気付いた。この人たちは私の話を聞いているのではなくて"会話"をしたいだけなのだ、と。その瞬間、友達や学校で何があったかを話す事をやめた。

 

こんなことを10年以上続けていたら、分からなくなった。

分からない事だらけで勉強はし足りないし、家族と過ごす時間の自分は気持ち悪くて堪らない。

そろそろ疲れた。生きることは、こんなに難しいのだろうか。こんな文章を真夜中にダラダラと書き連ねるくらいには行き詰まっているようだ。人生をやり直すとしたら、どこからやり直そうか。有り得ないことばかり考えてしまう。

少なくともバケツの水を頭からかぶる前からやり直して、問題児に蹴りを入れることから始めよう。

あと数分で夜が明けるが、両親に隠しているベランダの煙草ばかりが減っていく。