kikurageoisii’s diary

東京のOL23歳 

なぎ

芸術とか映画に触れる機会が10代や大学時代より格段に減ってしまったけれど、その分友達が増えたり頭を空っぽにしてアホみたいに笑う時間が増えた。あくまで私の中での話だけれど、幸せと芸術性は相反する物みたいだ。不幸や不安を芸術に昇華できるのに幸せはそのままで十分らしい。どちらもパワーがすごいから、フラットな状態がない。不安定さをある程度は愛しているしそれを自分と認めているから、いつか凪みたいな状態になった時、私はどんな自分になっているんだろう。昔は生きるのが嫌だったけれど、というか、いつまでもこんなに辛い毎日だったら早く終わって欲しいなんて絶望していたけれど人の気持ちなんて変わるものだ。驚くことがまだ多い。30代に向かっているんだ、いたって前向きに、前向きに。18歳の私、これ読んでみて。

間違える

全部の選択を間違えてしまう夜がまた来た。

ちゃんと寝ることも出来なくて、体重がどんどん減っていって、1人ずつ人が居なくなって、みんなが改札を出て歩く方とは反対方面に帰って行く朝、冬だからって理由だけじゃなく空気は容赦なく冷たくて痛い。痛いのに胸いっぱいに吸い込んでしまう。

こういう時、私は決まってキャパオーバーして他人を不本意に傷付けてしまう。ほらまた被害者面をした。最悪だ。

一人っ子なのに1人が嫌いで耐えられなくて、1人は寂しい。周りに優しくしたいのにこういう時は反対の事をしてしまって酷く後悔する。

新しい服を買っても何を食べても結局はみんな同じ。無くなっていく。体が薄くなっていく度に筆は進むからこうやって日記を書いて少しでも自分を慰める。

くだらない日々、夜が長くて嫌いな季節、頬を刺す朝の山手通り

贅沢したい

私には出来ないことが沢山あって、そのうちの一つが上手く買い物する事なのだけれど、スーパーに行くといつもどっと疲れる。大きいスーパーに行くと特に疲れる。だから家から1番近い何でもある大きいスーパーより、少し遠い小さめのスーパーに行く方が好きだ。沢山のものの中から、自分が欲しい物を見つけ出すのってストレスじゃない?情報があり過ぎて選択が出来なくなってしまう。買い物メモを持って行っても売り場が離れていたりして順番通りに買えないから買い忘れがあるし、その時魅力的に映った余計な物を買ってしまう。2つ迷ったら2つとも買ってしまうし、人に頼まれたものはどれがいいか分からないから全種類買ってしまう。私主婦になれるのかな?なりたいと思っている訳じゃないけれども。沢山買うのは贅沢じゃなくて苦しいから。

美しい人を見ると、世界が止まってしまう。可愛い人ではなく、美しい人。

彼女は美しかった。知らない人だけれど、インスタのストーリーに出てきた誰かの恋人が美しくて、彼のアカウントに写る彼女を見に行った。はたち、と書いてあった2017年からずーっと美しくて、垢抜けなんて言葉とは無縁なように、垢なんて最初から一つも付いていないような、私の知らない彼女の人生に、祝福の言葉を送りたくなった。

いつもいつも、醜い嫉妬で生きてる私だけれど、本当に美しい人を見ると世界が止まる。

綺麗になりたいな、と思う。見た目に固執して生きるのはダサいと言われても、心を整えるために綺麗になりたい。綺麗な部屋で生きていたいでしょ?現実は上手くいかないけれど。

朝起きて顔を洗うのだってめんどくさいし、メイクをするのも服を考えるのも最近は楽しくなくて、仕方ないから外に出られる格好にする、という感じで、それもこれも全部冬のせいにしている。

冬が無理やりに来たから、私も精一杯抗うのだが、それじゃあ私の生活が破綻する。冬って本当に厄介だ。

一人っ子なのに1人が嫌いだから夜が長いと困る。夜にだけ会う友達。あんなに学校でもサークルでも休日でも会ってた当時の友達と今はお互いの仕事後にしか会わなくなって、酒を飲んで冬の冷たい夜をやり過ごしたりする。

推しがいたり趣味があったりしたら楽しいのかな、と思うけれど私は未だに自分のことで精一杯で、大人になる前におばさんになってしまいそうだ。寒くて布団から動けない情けない朝と、あっという間に過ぎていく日々を過ごしている間にもあの美しい彼女は、凛とした空気で周りをハッとさせて生きているんだろうなあ。

 

私へ

どうか気品だけは失わずに生きてね。

春を待っている。

明かりと光り

31階からの夜景はやけに綺麗で、その明かりの一つ一つに人がいることに些か嫌気がさした。

東京だ、と思った。

東京で生きる27歳なんて沢山いるのに自分が一番明かりをうまく灯せていないような気がした。

 

去年まではそんな事全然無かったのに、金木犀の香りを前回感じたのが一年前だなんて信じられないくらいに季節は早く周って私のところに来た。

まだ特に大きなイベントもないのだけれど、というより決断出来るほど心が完成していないのだけれど、27歳に近付けば近付くほど人生の岐路に立たされている気がする。

常に私の人生に薄らとある「このままでいいのだろうか」を毎日感じて痛い。

なんだか全ての決断や状況がまずいように感じてしまう。

周りの友人らは結婚や転職を次々とこなしているのに、私だけ行き先のない急行電車に乗ってしまって降りる駅も分からず、通り過ぎる駅を降りる事も出来ずにいる迷子のようで、金木犀の香りを嗅いでも焦るばかりである。

 

こういうのも全部秋のせいだと思うことにするけれど、見るもの一つ一つに感情を燃やすせいで突然涙が溢れ出たりするし、言葉が乱立して羅列されて空中分解していく。

 

私の秋はいつも少し鬱っぽくなってしまって、その空気全体に漂う「もういいよ全部」を噛み砕きながら日々仕事して生きていく。大人だから。

 

31階の無数の小さな輝く光の中で食べた中華はちゃんと美味しくて、人生なんて好きな人と幸せに生きればいいのかな、とも思った。

 

あと一周して金木犀の香りを感じる頃には、ちゃんと大人になれているかな。

 

おやすみ、こわい夢をみないように。

 

 

 

欲深い

多分本当にはお金に困った事がないから、わからない。 

何としてもお金を稼ぎたいとか、何を犠牲にしても大金を得たいとか、借金を背負ってでも事業や投資で莫大なお金を手に入れる可能性に賭けたいとか、どうしても違う世界の話に聞こえてしまう。

お金に対する向上心があまりない。

本当の貧乏を知らないのは、一流を知らないのと同じくらい、いやそれ以上の弱さだ。

貪欲さも無知も私は怖い。

 

時々全てを辞めたくなる程無気力になるのは、お金や生のエネルギーから逃げたくなるからだと思う。

お金も生も汚い。

私が一番欲しい物はなんだろうな。

 

こんな夜に限って

書く事が好きなのだけれど、悲しい夜に限って筆が進む。

というか、悲しい夜しか書けない。

命を削って好きな事をするのは、矛盾に満ち溢れていると思うが、その削りかすみたいな何かを、1グラムにも満たない何かを私は自分の一部として遺しておきたいのだろう。

私が死んだらこの日記を本にしてどこか本屋の片隅にでも置いて欲しい。いつか誰かがそれを読んで何でもいいなにかを思って部屋にそっと置けばいい。それだけでいい。

これが私の遺言ね。