kikurageoisii’s diary

東京のOL23歳 

マイルドヤンキーと仲が良かった話

昔、実家の斜め前の家にさくらちゃんという同い年の女の子が住んでいた。彼女には妹がいたのだが、気づけば小6までに更に妹と弟が生まれ、4人兄妹になっていた。

彼女の家は大家族だった。4人兄妹に両親、祖父母、おば(と言っても当時中学生とか)、犬5匹くらいで2階建ての家に住んでいた。

私は当時よくさくらちゃんの家に遊びに行っていた。

さくらちゃんのママはヤンママで、多分当時今の私とそんなに変わらない年齢だったと思う。美容師をしていた。パパは寿司職人。

彼らのボクシーではいつも倖田來未が流れていたし、子供は全員茶髪だった。

他の保護者達とは明らかに浮いていたが、彼らはとても楽しそうだった。さくらちゃんと遊んでいる時に、さくらちゃん一家がどこか行くとなったら、私との遊びを中断して絶対にそっちに行ってしまうことが私は当時許せなかったのだが。。。笑

さくらちゃん一家にバーベキューに連れて行って貰ったりしたのを覚えている。

 家も近いため毎日遊んでいた私達だが、高学年になり、私は中学受験のために塾に通い始め、クラスも別々になり遊ぶこともなくなっていった。

 そして中学に通い始めたある日、さくらちゃん一家は引っ越して行った。私はしばらくその事実に気付かなかった。

 さくらちゃんはヤンキーな親とは対照的にとても大人しく、太っていたし、勉強も運動も出来なかった。それでいて不登校気味だった。小学校までは頭が良く、運動も得意だった私は、彼女の優しいところが好きだった気がする。悪く言えば思い通りになる所。

 一家が引っ越してから一切連絡を取っていないし、特に気にすることも無い。しかし、全く違う家族があの家で生活している所をみると、いつも胸がすごく変な感じになった。思い出の場所が、変な形になってしまったみたいだ。(場所はあるのに、あの家族が住んでいないと意味が無い)

 東京で暮らし始めて、泣きながら仕事をして早々に結婚に困難を感じ始めている私は、地元で生まれて地元で結婚して子育てして、ガストと安楽亭で子供の誕生日を祝い、ドンキに買い物に行くハッピーマイルドヤンキーの幸せに勝てているのだろうか。(幸せを勝ち負けで測ろうとする考え自体がとても良くないことは重々承知である。。。)

それな

有吉とマツコがCMに出始めた時の落胆感を私はまだ鮮明に覚えている。

そして、新しいCMや、番組で彼らが何かコメントする度に思い出したりしている。

彼らが支持されるのは「代弁者」であるからだろう。私達が言いたいことを上手いこと皮肉とユーモアを交えながらとめどなく、しかし若手芸人のようにガツガツもせずに言ってくれるのが「ちょうど良い」。

だからこそ、企業は彼らをCMに使いたいんだろうけれども。

人はつくづく共感を求める、と日々感じる。

「それな〜」と、日常生活なんの違和感もなく使ってしまう私がいる。

話を戻そう。なぜ、彼らがCMに出て私が落胆したのかと言うと、皆さんお分かりかもしれないが、お金をもらって言っているであろうコメントに、共感性を感じることが難しいからだ。

そして彼らには代弁者を全うして欲しいという思いがあるからだ。

こんな面倒臭いことを考える視聴者がいるのだから、もうCMを作る際のメイキングや、オファーをどうやって快諾してもらえたか、をCMにしてしまえば、より信頼感があがり、消費者の心を掴めるのでは、、、?などと思う。そこまでやる必要ないとも思うが。。。「それな〜」

とりとめのない話

あけましておめでとうございます。

今年はどんな年にしようかな。

なんか最近、気分がいいんです。

6月くらいの私は本当に大変そうだったなあ。

仕事に慣れてきたからか、飲み歩いてるからか、とっても元気。

家にいると、いろいろ考えて暗くなっちゃうから、毎日極力人と会うことにしました。

それと、仕事の後に予定入れると、モチベも作業効率もアップします。私の場合はね。

よく、社会人の中で一番楽しそうとか、私を見てると安心するとか言われるんですが、(褒められていないことはわかってます)私を見て、社会人も悪くないな、って思ってくれたらそれでいいです。よく飲んでるな、とか、遊んでるなって思われてると思うんですけどそれでいいんです。

社会人、全く悪くない!お金もらえる桁が違うし、暇じゃないから人に依存しないし、一人暮らし楽だし。

特に人に依存しないってめっちゃ重要だと思うんです。

私、高校大学二十歳くらいまで、自分で言うのもなんだけど超がつくくらいのメンヘラだったと思うんです。

なんでか毎日憂鬱だったし自己肯定感低すぎだし物欲もないし夜眠れないし。

暇だから病む→人に依存して何とかしようとする→共倒れ→病むっていう、負のスパイラルから抜け出せずにいました。

でも、それやめるのって超簡単。忙しくなれば解決しました。そして人に求めるのをやめる、期待しない、自分のことを自分でどうにかする、どうにかならなくても気にしない。これだけで嘘みたいに明るくなりました。

まだ自己肯定感は低めだけど、だいぶ生きやすくなりました。個人的に、人からどう思われてもいいやって思って生きてて、自己中だから、自分が楽しければいいんです。人の人生に干渉したくないしされたくない。あ、これ、結婚できないルートを進み始めている、、、まずいな、、普通に結婚はしたいので、、、

寿退社する先輩をいいなあとか言いつつ、今日も同期とランチを食べました。

今年もよろしくね🐭

 

 

OLが11月に1年を振り返る

お久しぶりです。11月も終盤に差し掛かった新卒OLです。

ちょっとブロガーっぽく自己紹介してみた。。。

仕事でインフルエンサーやブロガーに携わる機会が多いんですけど彼らは本当にすごい、、、私は商業的な文章は書けないのでこうしてつらつらと気が向いた時にてきとーに書くのが性に合ってて良いですね。

仕事といえば、もう年末感が漂う社内です。というのも11月末の成績で評価、ボーナスが決まるので同期は心なしかソワソワしています。1番になりたい!!とか人と競争したいとか私は思わないんですよねえ、、、つくづく営業に向いてないな、と。。。

こんなのほほんと営業をやってきたけれども、時間は平等に流れるもので、新卒でいられるのもあと少し、、、先日、初めて自分で新規で取ってきた広告が配信まで完成して、先輩方が私より先に気づいて祝ってくれて、本当に周りに恵まれてるなあと思ってます。優しいんですよ、先輩方。平成生まれ、令和に乾杯!って感じですね。たぶん私、昭和に生きてたら自殺してた(笑)

仕事の内容とか、真面目な話、需要あれば書くんですけど如何せんゆるくやってるからゆるく書くことになる。広告とか、ITとか、マーケティングとか、コンサルとか、、、

まあ今回は割愛しまーす!石油王と結婚したいなあ。。。

1年振り返るとか言って、全然振り返ってないやんけ!

春:研修楽勝だな!一人暮らしたのしいいい!完全に社会人デビューを果たす

夏:配属、新規営業。クライアントに泣かされる。まじで一瞬で過ぎた。

秋:一瞬。なに?社会人の1ヶ月ってこんなに一瞬なの!?溶連菌で死にかける

冬:突然石油王に見初められ、口座に5億振り込まれ、山崎賢人と結婚

なんだこれもう死にたいな(笑)

またちゃんと書きま〜す

仕事に戻らねば、、、

 

THE END OF THE F***ING WORLD

厨二みたいなタイトル付けちゃったけどドラマの題名です。

たまにはブログっぽく映画やドラマの話を。

 

私映画好きでよく観るんですけど、映画のレビューとか書くのあんま好きじゃないんですよね。見るのも。なんか、分かってないこと分かった人に否定されてるみたいでムカつくじゃないですか。監督でも脚本家でもないのにこの人はなーに偉そうなこと言ってんだって思っちゃうし。

 昔、国語の授業で、「容疑者Xの献身」を取り扱った時、私は本題を素直に「究極の愛」って受け取ったんですけど先生が進める授業の上では「犯人のエゴ」ってことになって。どうしても私はそれが納得出来なくって。でも先生と話すの、ましてや議論なんて苦手だから黙ってたんです。どうしても我慢できなくなってだいぶ経ってから本好きの母親に話したけど。未だに覚えてるって凄くないですか?まあ受け取り方なんて究極それぞれですよね。私はそれでいいと思います。っていうと、国語教育のあり方ってどうなんだろうと思ってしまいますけどね。大学卒業したんでどうでもいいでーす!好きに映画見て本読んで見たくないレビューは無視して感想垂れ流せるインターネットサイコー!てわけです。

 

ここまで言っといてここから先は私の超主観的な作品の感想なので見ないでください。私はこのままいきます。

この前人間失格見た時に、何か物凄くインスピレーション受けた気になって、絶対感じた事を文章に書きとめようと思ってたんですけど結局やらずにその時の衝動は消えたし絶対に今同じ文章は書けないので、見た直後に書くのが一番だと思ったんです。結局人間失格見た日は男の子と見てたんですけど全然その人のこと嫌いなわけじゃないしむしろ好きなのに絶対に今は1人になりたいと思って解散して、夜中2時間くらい町を歩き回るっていう意味不明な行動をしちゃったわけなんですけれども。そういったことでなく、意味のある行動で衝動を示したい。衝動に意味付けしたら「衝動」ではなくなってしまうのかもしれないけれど、私は常々意味のある事をしたいと思って生きているので、できるだけそうしたいのです。全然出来ていない現状ではありますが。

 

 随分話が逸れてしまったけれど、今回話したい作品はNetflixオリジナルドラマ「このサイテーな世界の終わり」についてです。

私はとにかくこの作品が大好きで、視聴は2回目である。にも関わらず、1話目の最初と最終話の最後のシーンで泣いた。何故だか分からないが、好きすぎて涙が出てくる。

 ストーリーとしては自称サイコパスの少年と、同じ学校で出会った不機嫌なセブンティーンが退屈な街から逃避行の旅に出るというダークなラブコメっぽい話である。サイコパス君は旅の途中常々少女を殺すタイミングを見計らっているが、自由奔放な少女の行動によりいつも殺せず気付けば彼女の言いなり、振り回されっぱなしな毎日の中で本当の自分に気付く。

一方“不機嫌なセブンティーン”アリッサも自由にクールに振舞っているつもりが内心は子供であり少女である。

 親の愛情を知らない2人が補い合いながら、でこぼこの道をオンボロの盗んだ車でイカした音楽(この作品のBGMを担当したのはBlurのグレアム)をかけながら泣いたり喧嘩したり歌いながらアリッサのパパ=飛びっきりのダメ親父の元に逃避行していく物語。道中、さながらスタンプラリーを綺麗にひとつひとつ押していくかの様に犯罪を網羅していく姿は圧巻である。ティーンの不機嫌パワーすさまじっ!

 また、この作品には「完璧な大人」は誰一人として登場しない。親達は自分の幸せで精一杯、刑事でさえもプライベートと仕事の間で揺れ動く。窃盗、自殺、殺人、万引き、など様々な非日常が起こる作品の中で、現実に生きる私達が彼らに、この作品に心を惹かれてしまうのは、確かに誰もが感じ得る「リアル」、かつて感じた10代の頃の何に向けて良いのかわからない破壊的な衝動(アリッサが全てやってくれている)曇った感情(映画の色が全体的に霧がかっているグレー。彼らの心の中を表しているのかな)分かり合える人の存在(アリッサとサイコパス君)がそこにあるからではないかと思った。

とにかくシーズン2が楽しみである。サイコパス君、名前思い出せなくてアリッサみたいに名前で書いてあげられなくてごめんね笑 結婚するなら君みたいな人がいいと切実に思っている。愛おしすぎる。暫定1位を争う推しキャラ。名前忘れたけど。あ、ジェームズだ。ジェームス?シーズン2で確認します笑

11/2~シーズン2配信開始なので興味があったら是非。ネトフリの回し者じゃないよ。ではまた!

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自意識のはなし

伸びかけたネイルでパソコンを叩く音が嫌いで今日もこんなことで仕事が嫌になってしまう。

生きていくにはお金がかかる。そうではない、そうであるが、そうではない。

女の子はお金がかかるとか、そんな可愛いことではなくて、生きていく上で必要最低限の自己肯定感を保つ為に日々、お金をかける。

女の子だからとか、自意識過剰とか言われても極論どうでもいい。ただ、ただ毎日を生きていく為に、バランスを保つために、綺麗に彩られた爪で次のネイルサロンの予約を取るし、美容室に行き、マツエクをつける。大それた幸せなんていらない、絶世の美女になんてならなくてもいい、いや、なれるものならなりたいが(笑)とにかく、心に荒波を立てないために必死なのだ。いつまで続くのだろうかこの戦い(笑)は。。。

まあ、穏やかに、正常に生きるために何とか作り上げた自意識なんて所詮他人の一瞬の悪気のない否定や、客観的にみた自分の醜さで崩れたりするが、そんなことには慣れた。ヘラヘラしてしまう(笑)

所詮自分で満たせない承認欲求を他人に求めてしまう幼い感情から早く卒業したい。

この記事に共感する人がいるのかはわからないが、そんな人にはおんなのこきらいという映画を勧めたい。感想聞かせてね。今日も頑張りましょう。

 

今日のお弁当

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0:30乗車

 幸せが分からない。何をしたら自分は幸せなのだろうか。もう、全くもって分からない。正しい行動をしたいし、無駄な事はしたくない。現状、誰からも愛されていないし、というより、誰の事も愛せない。夜を使い果たすつもりが、こんな時間にタクシーで帰宅しているのだから、あまりにも手持ち無沙汰になってしまって、運転手さんに話し掛けようとしてしまった。瞬間、留まったが、普段絶対しない行動をしようとするくらい、気持ちが参ってしまっているのだろうか。

 日々、疲弊する。その中で、ほんの小さい不満をいくつも飲み込んで、何よりも先に「めんどくさい」がくる。本当に言いたい人に本当に言いたいことなんて何ひとつ言えないし、考えることを放棄し、同時に幸せになる努力も放棄してしまう。幸せになるために努力をしなくちゃいけないなんて、習っていないしそんなエネルギーもない。20代の金曜日、あと何回こんな思いをしなくてはいけないのだろうか。自己開示なんてめんどくさいし、人を理解する事もめんどくさい。他人に対してだけでなく、もはや自分に対しても踏み込みたくなくなってきた。とにかく何もしたくない、めんどくさいと感じることすらめんどくさい。でも、自分から乖離していく一方でしっかりと落ちているのは、幸せを諦めたくないという一種の執念だろうか。幸せにならなきゃいけない、という呪いは一体いつ解けるのだろうか。。。

 

 

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