kikurageoisii’s diary

東京のOL23歳 

クリスマスに詠む俳句は、涙と祖母の手の温かさで溶けてしまった

クリスマスの朝、祖母に会いに行った。

病室の祖母はずっと眠っていたけれど、もしかしたらこれが最後に温かい手に触れられる瞬間なのかもしれない。

そんなわけないのだが、祖母は死なないと思っていた。いつでも元気だった。でもやっぱり人は死ぬんだ。当たり前か。

 

病室に行ったら叔母が棚から俳句集を出してきて、不意に涙が込み上げた。

私が生まれた時から、私の事だけを詠んだ句集だった。何ページも、何ページも。写真や装飾を添えながら。

他の孫の分など、あと4冊あるが、これだけを病室に持ってきたらしい。全部知らなかった。

こんなのはダメだ。絶対に泣いてしまう。絶対に泣いてしまうから、見たかったのにちゃんと見れなかった。私の一生分のクリスマスプレゼントは、もうこれでいいかもしれない。

 

クリスマスプレゼント、なんにも要らないからもう少しだけ祖母を生きさせてください。神様お願いします。

 

でも、もう祖母は自分の人生を全うしたのかな。だったら、好きなタイミングで好きなところに行って欲しいな。

人はいつか死ぬし、祖母は高齢だ。

わがままで自分勝手で嘘を平気でつく祖母。おばあちゃんになっても友達と喧嘩して、(祖母が100%悪い)絶交したりしてた。おかげで高齢者は、穏やかで頭が良くていい人なんてイメージ、私の中には無かった。

でも私の祖母だ。

私が大学卒業して家を出るまでずっと同居していた。小さい頃、祖母の部屋に遊びに行くのが好きだった。暗い廊下を通るのが嫌で、ずっと祖母の部屋のトイレを使っていた。一緒に俳句を詠んだこともデザートをいつも一人っ子の私にくれたこともこっそりお小遣いをくれたことも、いつも我が家では祖母が畑で作った野菜を食べていた事も、全部全部思い出してしまう。

毎日寝る前におやすみなさいを言いに行っていたが、夜更かしをするようになってやめた時、おやすみと言いに来てくれないと寝れないと言われたこと。

一人暮らしの前夜、私の部屋に来て「寂しくなるねえ」と声を出しておんおん泣いてくれたこと。初めて祖母の涙を見て私もこっそり泣いてしまった。

思い出が多すぎてつらい。

 

私が呑気に死にたがったり、東京でお酒を飲んでいた間、祖母は生死の間を彷徨っていた。

そんな事は知らなかったし何人身内が亡くなっても、私は未だに人が死ぬということがよく分からない。

ただただ会えなくなるのが寂しい。心の中で生き続ける、なんて、生きてる人が自分を崩さないように言い聞かせているだけなんじゃないか。だって会いたいもん。

 

明日は私の誕生日。誕生日プレゼントもなんにも要らないから、やっぱり祖母ともう一度話をさせてください。それは私のわがままでしかないけれど。私はやっぱり泣いてしまうと思うけれども。もう少し、もう少しだけ。

今日は俳句は詠めない。いつかまた一緒に。