kikurageoisii’s diary

東京のOL23歳 

親友が死んだ。

深夜、友達からの連絡は思い掛けず、私は帰宅途中のタクシーの中で不意に内臓から込み上げてくる何かを堪えるのに必死だった。

涙は出ない。驚きすぎると人は固まる。

その後人に話したら泣いてしまったけれど、なぜ泣いてるのかわからなかった。

1日経って、歩いている途中、不意に涙がこぼれそうになる。でも果たしてこれは何に対する涙なのか。自分に対する涙ではないか。何も出来なかった自分が情けなくて、友達がいなくなって悲しい自分が可哀想で泣いているのではないか。誰のための涙なのか。それさえも悲しいのだけれど。

 

それからなんとなく、世界が重くて、昨日までと違って、下を向いた瞬間に漏れ出るため息の重さで魂まで抜けてしまいそうだし、涙がこぼれ落ちそうになる。エネルギーが出なくて、私が生きる事を楽しんではいけない気がして何もする気になれない。

あの子はもうこういう事ができないんだ、と思ってしまう。彼女は私に呪いを残したのか。そんなつもりは微塵もないだろうが、死は、生きてるものに試練を与える。

 

生きる事を考えさせられる、と身近な死を経験した人は口を揃えていうし、薄っぺらいなと思っていたけれど、死んだら何も出来ないという事を私はあまりにわかっていなかった、普段何も考えていなかったな、と思う。

死んだ人には何も伝えられないのも、一生会えないのも、何も聞くことができないことも、なんだか信じられない。

私が知ってる彼女は元気な姿で、彼女は何に絶望したのか分からない。親友だと思っていたのは私だけだったのかもしれない。彼女は私に相談した事はなかった。死んでしまおうと思うくらい絶望しても、私は死んだ事はないから、私には死ぬまできっと彼女が最後の一歩に踏み切った理由が分からない。1人の部屋で、死ぬくらいの絶望を抱えて、本当に死んでしまったのだろうか。

無理矢理にでも彼女の部屋に行き、ずっと一緒にいたら良かったとか、連絡を取り続ければ良かったとか、電話をかければよかったとか、後悔が後を絶たない。

 

なんとなく彼女とは、一生友達でいると思っていた。

お互いに老けてもたまに連絡を取り合って食事をしたり、結婚式にも呼びたかったし、どちらかに子供が出来たら会わせていたかもしれない。

中学生の頃、私の方から気になって放課後の家庭科室で2人で話してから高校卒業まで毎日一緒に登下校をした。

属するグループも部活も違う。だから共通の友達は決して多くない。なんで一緒にいるの?とよく聞かれた。

不思議な関係だったけれど私は彼女の事が好きだった。大学生になってキャンパスが離れても、社会人になっても、常に気になっていた。

会わなくても友達でいられる関係が、本当に信頼し合った友達のようで誇らしかった。実は友達が少ない私の、大切な一部になっていた。

 

彼女はいつも羨ましい程に、自分の好きな物を貫いていた。周りからどう言われようと好きなファッションに身を包み、可愛い顔が台無しになるほど男女問わず素直に話した。そんな不思議な魅力に私は嫉妬し、猛烈に惹かれていた。飽き性な私とは真逆だった。

学生時代、毎日一緒にいるけれど、趣味や考え方がまるで違う彼女が近くて遠くて好きだった。

 

感受性が豊かで、時々エキセントリックになって、不安定なところはあるけれど、頭が良くて優しくて賢くて強い人だった。

ヘラヘラして適当に生きてしまう私に常に正しい意見をくれた。

私が実は人にものすごく気を遣うことを彼女だけが見抜いていた。

彼女はなぜ私と仲良くしてくれていたか分からないけれど、とても優しかった。なぜ友達でいてくれたかもう聞けない。

 

ものすごく落ち込んだ時、家に駆けつけてくれた事を私は忘れない。私は彼女の元に駆けつけたことはない。

私とは違う性質の人間だから、辛い時に無理に近づかない方が良いのではないかと思っていたが、今となれば沢山連絡を取れば良かったと思う。

もう遅いのだ。彼女が最後に連絡した人は誰なのだろう。彼女の人生に私は少しでも残っていたのかな。

 

心霊の類は信じていなかったが、幽霊になって出てきて欲しい。聞きたいことが山程ある。

彼女は私を頼らない。私も彼女を頼ったことは先程の彼女が家に来た時だけだ。私と彼女の絶妙な距離感は2人にしか分からないと思う。四六時中くっつくのだけが良いのではない、この距離がお互い心地よいのだ、と思っていたけれど、死んでしまうのならもっともっと踏み込めば良かった。私に出来たことがあったのに出来なかったのではないか。

 

こういう事はよく言うけれど、本当に今でもひょっこり出てきそうなのだ。最後に会った時の彼女が笑ってる動画を見られない。高校の卒業式で2人で撮った動画を見られない。成人式で華やかな振袖で撮った写真を見られない。私より全然可愛いのに写真があまり好きではなかった彼女。撮った写真は少ないけれど、これからも時々会っては必ず私から写真を撮ることを誘って、記録し続けると思っていた。高校生の頃無理矢理一緒に撮ったプリクラを実家に置いてきてしまった。友達にも親にも彼女のことを言えない。彼女の死を実感をする準備が出来ない。出るはずがないのだけれど、怖くて彼女のLINEに電話をかけられない。

最後に送ったまま既読にならないLINEは、

「生きてる?」だった。

 

これは私の、私の為の記録だ。誰も読まなくていい。こうして書き連ねても、私の人生で一番の、最初に出来た奇妙な親友の、私が知ってる事は極わずかだった。ずっと忘れないけれど、今ちゃんと彼女の事を書いておかないと、日々に押しつぶされて悲しみを忘れてしまうのではないか。怖い。そして彼女のいない世界を当たり前だと認識し始めている自分が悲しい。書いてる途中で泣いてしまうので、実はこの文章を書き始めてから数日が経ってしまった。その間にも日々の生活はとめどなくて、仕事に行ったり笑ったり疲れたり眠ったりして私は生きている。彼女がいない世界でも日常が微塵も変わらない。悲しい。でも彼女のことを思い出すと悲しみが雪崩のように広がり落ちてくる。私はこの痛みを決して忘れたくない。痛みが彼女との思い出の証になるなんて少し嫌だけれど、死んでしまった彼女が悪い。これくらいは責めてもいいだろう。とんでもない驚きと悲しみを私達にもたらしたのだから。思い出や面影や彼女の輪郭を、日々に薄めて忘れてしまうのなら夢でも幽霊でもいいから目の前に出てきて私のことを怒って欲しい。会わないと会えないは違うということ、そこに決定的な悲しみがあるのだということを私は知った。

 

何人身近な人の死を経験しても、私はやはり人が死ぬということがよく分からない。一生会えなくなって大いなる悲しみをもたらしてくるという事実だけが私の人生に残る。生きるという事はこうした悲しみを沢山抱えなくてはいけないことなのだろうな。死んだ彼女の分まで生きる、なんて何だかおこがましいし頼まれてもいないので絶対に思わない。こういう所を彼女は好きでいてくれたのなら私は嬉しい。

正直、死のうと思っても死ぬ勇気も度胸もないし、生への執念がものすごいある私からすると、そこから解放されたかもしれない彼女の生き方は最後まで彼女らしくて、勢い余って死んでしまったとしても、自分を貫く姿勢が、真っ直ぐ伸びてる生き方のようで少し羨ましいな、と思う。私はとんでもなく悲しいけれど。

そんな感じで、奇妙な親友は最後まで奇妙に消えていった。だから私は彼女が大好きで、一生嫉妬すると思う。憎い。愛を込めて。