kikurageoisii’s diary

東京のOL23歳 

すばらしき世界

痛い、痛すぎる。

見るほどに男の無骨な真っ直ぐさに心が痛くなる。

ハッピーエンドを切に願っている私がいた。

更生することの難しさ、社会で生きることの自己犠牲を、いつの間にか上手く自分を殺しながら生きている所謂"真っ当な"私達は知る術もなく、何かがないと知ろうともしない。

そういう意味ではゆっくりと自分を殺しながら生き長らえているのかもしれない。

 真っ直ぐに生きること、間違っている事を正すこと、時にそれが暴力であってもそれでしか解決しないことがある。

人生の大半を刑務所で過ごしたら、社会生活を送れないのは至極当然の事のようだ。少年時代から刑務所と外の世界を行き来し、母親の幻想を追いかけ続けた男の人生はハッピーエンドかバッドエンドか。

きっと少年時代で正義感や義理人情や怒りの抑え方や真っ直ぐな優しさ、素朴で純粋な感性が止まっている。刑務所はむしろ守られた世界であり、犯罪者にとって肩身の狭い思いをしなくて良い場所らしい。

曇天を突き抜ける昼間のスカイツリーは平成、令和、現在の象徴であり、男のこの先を暗示していた。

夜の東京タワーは男の過去の象徴であり、昭和の栄光のようだった。

社会から爪弾きにされ、絶望的な状況の中で昔のヤクザの友達に電話をかけ、何も心配しなくて良いと言われた時に安堵してしまう私がいた。社会から見れば排除されるべき集団も、男にとっては居場所となり得る。

風呂屋の女が優しく、母性を感じたとき、母の存在の大きさを再確認する。結局離別した母とは会えなくてもいつまでも男の中に居続ける大き過ぎる存在。

 

 ただ社会が、道を外れた者に厳しいだけでは無いということがこのすばらしき世界の救いである。

人と関わる以上、嫌でも人の優しさに触れる。不器用が故に優しさを跳ね返してしまってもまた、優しさに触れる機会がある。人間が生きている以上、何かしらの機会が与えられるのだろうか。ものにできるかは別として。

 不器用だから、真っ直ぐだから、という肯定だけで生きていけるほどこの世界は他人に構っていない。思った以上に全員自分の事で精一杯だし、どこかで感情を殺し、力を抜いて生きている。正しい正しくないなんて考えない。考えていたらこの世界にもっともっと犯罪が増えてしまう筈だ。気付かぬうちに耐えて、耐えて、"平和な日常"が送れる。悲しいけれど世界は悪意と耐える事のバランスで回っている。

 私はこの物語はハッピーエンドであって欲しいと思う。やはり不自由なく育ってきた自分の感性は結局ハッピーエンドを求めてしまう。たとえ自己満足であっても、すばらしき世界であって欲しいという切なる願いをこの映画に込めるしかなかった。

男は幸せを感じたまま死んだのか、更生して死んだと言えるのか、私達に任されている。

1人の人生を奪い、沢山の人に迷惑を掛けてきた男の人生は、すばらしき世界に埋もれて終わるのか、私達に何らかの意識を植え付けて終わるのか。番組1つでは社会は変わらないと劇中のテレビマンも言っていたが、その通りである。ただ、十分すぎるほど感情移入した後に私はこうして文章を書いている。

すばらしき世界に、コスモスが咲き誇りますように。