私は今が楽しいのだけれど、これは世界の誰かの鬱の上に成り立つ壮大な躁としての世界のバランスだったらどうしよう。
“完全な幸せ”なんてものは少なくとも私には存在しない。幸せな時は、脳の端っこの方、体の隅では終わりに怯えているからだ。だったら、“完全な不幸”も(隅に希望があるから)存在しないのだが、希望は、自ら見ようとしないと見えず、恐怖は、見ようとしなくても見える。
人間はおそらく、恐怖に身を任せる方が楽なのだ。
楽をして生きたいのにな。
この身勝手な人生の構造が今日も私たちを作っているのは些か不満だが、こうやって文字にしてみると単純で笑える。笑えてよかった。まだ大丈夫だ。みんな、大丈夫だと思う。
おやすみ、こわい夢を見ないように。