kikurageoisii’s diary

東京のOL23歳 

忘れないなんて、書きたくなかった

思い出は、音も立てずに死んでいくし、

季節は音を立てて過ぎ去っていく。

 

 台風のような別れをした友達や恋人も、スマホの中で笑ったまま、指で動かしたら視界から一瞬で消えてしまう。

写真を撮ると魂を抜かれるって昔の人は、あながち間違っていなかったのかな。

 

 昔1回だけ居酒屋で一緒に飲んだ、店員をしていた大学生、友達の友達。その2ヶ月後くらいに、留年を理由にして自殺したらしい。

友達伝いで訃報を聞いて、そのまま忘れていた。画像フォルダに一緒に笑っている写真があった。みんなバカみたいな笑顔だったので、お気に入りのフォルダに移しておいた。1回しか会ったことない、彼。なんで死んでしまったんだろうか。でも、死んだらもうそこで終わりなんだと思った。彼を忘れないでおこうなんて、私みたいな人間に思われて、ふとした瞬間に思い出されて、ブログに書かれて、読まれる。

ごめんなさい。本当にごめんなさい。私は、周りの人をブログに書くのが苦手だな。その瞬間、ただの自己満足になってしまうから。

ただ、多分私は彼を完全に忘れる事は無いと思うし、人が死ぬって、生きてる人にとって、思っている以上に残ることだ。でも、死んだら終わり。それも覚えておく。

 

 大好きだった叔母は私が中学生の頃、若年性アルツハイマーになって、だんだんと私達を忘れていって、もう、人じゃないような暴れ方をした後、見ていられないほど弱って、なんにもしなくなってしまった。

私はなんにも言えなかった。ゆっくりと確実に1人が終わっていく瞬間を、私は私という人間が確実に形成されて成長していく数年間でただ、見ていた。なんにも悪い事をしていないのに、ひとりの人間が、その人のまま、ゆっくりと終わっていった。病気なんて、仕方の無いことだし、会えることは悲しいことではないし、死ぬ訳では無いと言い聞かせて、変わっていく叔母と接していたけれど、隣の部屋で泣いてから、みんなの元に戻ったりしていた。

高校受験の作文で、「家族」というテーマが与えられて、私は初めて叔母のことを吐き出した。悲しいこと、変わっていく事が怖くてちゃんと接することが出来ないこと、時間が限られているのはわかっていること、でも直視出来ない自分が情けなくて嫌いなこと、叔母が好きなこと、忘れたくないこと、ただ紙にひたすらに書いて出した。受かるためのネタにしているみたいで、ごめんなさい。ごめんなさい。と心で唱えながら出した。今でも後悔している。そして今ブログに書いていることも。でも、綺麗事のようだが、忘れたくないのだ。

変わっていったことも、忘れない。書かなくてもきっと忘れないが、私は馬鹿なので、悲しかったことや忘れたくない時の感情を時々思い出して整理してこうして書かないと、怖くなってしまう。

 

漠然と幸せを怖がってしまうのは、私を作ってきた悲しみや悔しさを忘れてしまいそうになるからかな、と思う。

理由のない怖さや憂鬱に襲われて、気を抜くと泣いてしまうような日は、日々を忘れたくないから来るのだろうか。毎日を枯らさずに生きるための雨の日、とでもしておこうか。

たまに忘れたくない事を思い出す。楽しかった時の写真を見返す。スマホがあって良かったな。

私はまだ、時々写真を撮ったりこうして変な文章を書いたりしてしまいそうだな。

 

今日はおしまい。

おやすみ、怖い夢をみないように。