kikurageoisii’s diary

東京のOL23歳 

hope

「十三月の風が吹いて
水曜日に熱を出した
大事なときに居ないよね
なんだか、なんかなあ」

「ベランダから春が射した
理由もなく泣いてしまった
柔らかな嘘を貯める
何故だろう、変われない」

 

マカロニえんぴつのhope

この曲が出た時私は休職中で、まさに13月とは自分の事だ!と思って泣いてしまった。

今歌詞を改めて確認すると、ラブソングなのだが、歌詞の節々が、当時立ち止まって不安しか無かった私に完全に当てはまり、自分と重ね合わせて泣いたのだった。柔らかな嘘を貯めていた。ベランダから刺す春に耐えられず、私の部屋は13月だった。

 

「「大丈夫」君が言って
水曜日を寝潰した
幸せの削りカス 集めて生活する」

 

今はもう平気で、寝潰すことは無くなったけれど、幸せの削りカスは集めていたいなぁと、最近思う。

 

https://youtu.be/8MhMs5G0tVM

 

完全な不幸

私は今が楽しいのだけれど、これは世界の誰かの鬱の上に成り立つ壮大な躁としての世界のバランスだったらどうしよう。

“完全な幸せ”なんてものは少なくとも私には存在しない。幸せな時は、脳の端っこの方、体の隅では終わりに怯えているからだ。だったら、“完全な不幸”も(隅に希望があるから)存在しないのだが、希望は、自ら見ようとしないと見えず、恐怖は、見ようとしなくても見える。

人間はおそらく、恐怖に身を任せる方が楽なのだ。

楽をして生きたいのにな。

この身勝手な人生の構造が今日も私たちを作っているのは些か不満だが、こうやって文字にしてみると単純で笑える。笑えてよかった。まだ大丈夫だ。みんな、大丈夫だと思う。

 

おやすみ、こわい夢を見ないように。

雨、

午後に起きる。

仕事で朝まで飲んでいたお酒が少し体内に残っている。

死んだ親友のことを考える。

いつも。日が沈むと何となく気分も沈んで家事とか何も出来なくなる。

雨だから出掛けるのが面倒だけど、こういう時にUberEATSを解約したことを後悔する。

便利をお金で買うけど便利しか買えない。

ぬいぐるみを洗濯するとめちゃくちゃいい匂いになってそれだけで本当に幸せになった。

歳を重ねるごとに幸せの感度が下がってきて生きやすい。テレビや映画を観てすぐに泣く。歌詞に共感して泣く。

だから、あの子も生きていれば良かったのにな、と思って少し、いや、すこぶる悲しくなる。

違うよ、今日は雨だからね。

 

綺麗事しか言えないけど

いま、どうしても命を閉じようとしてる人が周りにいて、その人にはどういう事情があってそう思っているのか分からないけれど、私は生きて欲しいな、と思う。

色々な事を直接伝えたいのだけれど、「なんで死んじゃいけないの?」と問われると私もよく分からないので、こうして書いてみる。

本当は「気持ちがわかるよ。」と言いたいのだけれど、「分かられてたまるか。」と思うだろうからそれはしまっておく。

ここからは私の個人的な経験を元に思う事だけれど、死にたいくらい気持ちが落ちている時は、分かっていても人の優しさをつっぱねてしまう。差し伸べられた手を叩いちゃうから周りから割と人がいなくなる。そして世界に1人になった気分になる。世界の全てに対して攻撃的になる。そういう自分の心の中の矛盾を分かっているから余計にしんどい。助けて欲しいのに助けはいらないアクションをしてしまう。健康な時より確実に視野が狭くなっているんだけど、多分それはその時は気付けない。後になってから気付く。

なんで助けてくれないんだろうと思うけれど、自分が思うより全員、自分の事で精一杯だ。多分無条件に死にたくて消えたい気持ちを救ってくれるのなんて、宗教くらいしかない。

よっぽどの事がない限り人から連絡なんて来ないと思った方がいい。でも、あなたが死んだら、連絡なんてとっていないかなりの人が悲しむし悔やむし、呪いみたいにその人たちの今後の人生に付き纏う。人生の周りには、声に出さない応援の方が多い。応援は声に出さない人が多いけれど、批判や悪口は声に出す人が多い。もうそれはそういうものだと思っておいた方が楽になる。

本当に綺麗事を並べるようだけれど、「生きていればそのうちいい事が起こる」これは本当だ。「そのうち」というのは、早いのか遅いのか全然分からないけれど、「生きていてよかった」とは思わないまでも、少しのいい事がそのうち起こる。「生きていてよかった」なんて出来事は、一生のうち一回くらいなのかな、と思うし、無いかもしれない。でもまぁいいかな、と思っている。なんか生きるのは、そういう風になっていて、今がしんどい今のところは、少しのいいことたちを、死なないように待つしかないと思う。

人生は死なないように生きる、しかないと思う。

まあでも、こう思えるのは、そこそこ心がフラットな時だから、これを今しんどい人にどう伝えればいいのかが分からない。

ほんとに、なんとか死なないように生きてほしい。あんまり答えになってないけれど、私はそう思う。これに関しては綺麗事しか言えないけど、うーん。うん、上手くいくといいな。

見えない

夕方のテレビで、スマホ依存性が問題になってるとか言ってたけれど、私はスマホでどうでもいい情報を次から次へと脳に入れていないと、頭の中がパンクしそうになる。たまに有益な情報もあるし。

例えるならば、消しゴムが無い脳のホワイトボードに次から次へと思考が上書きされていく感覚。その思考は、上書きされまくった結果、悪い想像で大体終わる。ネガティブな心配で感情が支配されてしまう。

歩いている時は音楽を聴いていないと思考が景色を侵食していく。

それは注意散漫なのか、極端に集中力が欠けているからなのか分からないが、この性質のせいで学生時代は勉強が嫌だった。進まないからだ。問題を解いていてもすぐに違う考えがよぎるし、部屋の掃除など、違う事を始めてしまう。これは誰しも少しはそうかもしれないが、私は異常だと思う。一夜漬けすら出来ず、結局テスト当日の朝に暗記だけしてテストに挑んでいた。

映画は良い。好きだ。私が気軽に没入出来る唯一の娯楽かもしれない。没入は気持ちが良い。この快感を勉強でも味わえていたら、私はあとどれだけ偏差値を上げることが出来ただろうか。数学の赤点を取らずに済んだのだろうか。今考えても遅いけれど。

1人で黙っている時、絶えず自分のセリフが脳内を反芻している心地悪さを私は今、こうして吐き出している。全部を文字化したい。見えるようにしておきたい。景色をもっとクリアに見たいのだ。美しいものを美しく見たい。

光合成が上手くできてない!

日が沈むと共に毎日気分が落ち込む。

だから夜が早い冬があんまり好きじゃない。

ずっと真昼間でいいのに。

暫くすると夜に慣れるけれど。

夜が楽しくなるのは誰かがそばに居たり、ネオンに目が眩んでるからだろうな。

 

マイヘアが聴けない

マイヘアの椎木に朝ドラ女優との熱愛報道が出てから、彼の曲を聴けなくなってしまった。別に大ファンでもないし、ハマっていた大学時代に比べたらめっきり聴く機会は減っていたからいいのだけれど。売れて朝ドラ女優と付き合うという、サブカル的要素が何も無いハッピーエンドに冷めたのだろうか。相手の朝ドラ女優のことを「正直、芋っぽくね?あれくらいだったら私も、、、」と何様かよという態度で心の中で査定したりして、自分の身の丈に合わない高慢さと性格の悪さにドン引きする。でも私の中の椎木は、そういう女を好きであって欲しいと願うキモさが同居していて更に地獄だ。

気付いたら26歳になってしまって、いつまでサブカルに憧れてるんだよ、としんどくなる。18~25歳、結局サブカル女子にも港区女子にもなれなくて、でもカテゴライズされるのはダサいから結構。という無駄なプライドだけを盾に疲弊。

過去5年程の誕生日の写真を見返してみて、私ってそこそこ可愛いんじゃないか?と思ったが、全部加工アプリで撮った写真だったから自分が納得する顔になっていて、当然だ。なんか全部、リアルを写していなくて、その時よければいいじゃん✌️は、過去を振り返る時に後悔の重大な材料になるな、と思った。

ずっと少し変だったから、高校生くらいの頃から「何者かになりそう」とか「見つけられそう」とか「有名になりそう」って言われてその度に浮かれて、でも本当は臆病だから自分では何もせず、ただ見出されるのを待ち続けている。気付いた。多分このまま私は死ぬ。とっくに有名人は見出されて、なんならこの年齢で次のステップ、キャリアに進んでいる。

見栄とプライドの高さ故に他人から見える弱さに対してすごく厳しい自分がいて、人に甘えられなくて自滅する。でも相談相手をしっかり選べる自分は好きだ。相談、基本的にしないけれど。そしてこれからも口出しさせない人生を心掛ける。隙を見せない。付け入らせない。無視する。冷たい人と思われても自分を守る術を忘れないこと。