大切に生きる、ということ
久しぶりに花束を買った。
花は綺麗で清々しくて良い。
世間は新生活、という感じだが、私は何も変わらない。
この1年で変わった事は沢山ありすぎるが、全てに慣れてしまって、日々を溶かしている。
桜が散るよりも早く、女の子が終わっていく気がしてならない。
自分をダメにする瀬戸際で仕事を辞めた決断が、良かったことなのか未だに分からない。ただ、ただ慣れたというだけだ。迷いや戸惑いにも慣れがくる。
桜の木の下で踊っていられるのも今のうちなのだな、と呑気に花見をしながら不安をビールで流し込めたらなあ、なんて思うけれど花見さえも許されないご時世である。
人が居なくなるということはやはり今年も分からなかった。
今年はなんだか一気に本当に大切な人たちが亡くなってしまったけれど、近くにいないとその実感さえも湧かない。そんな自分に罪悪感を覚える日々は辛かった。夢の中で私は必死に抱きついて、大好きだよ、ありがとう。と伝えるのだった。そんな夢を何回も見ている。
喪失で1番悲しいのは、何も感じられない事だ。
丁寧に折り畳んだはずの感情は、案外桜が散るようにはらはらと落ちていくことがある。それを美しいと思える心をまたゆっくり、育てていきたい。
そして来年、桜の下で。