kikurageoisii’s diary

東京のOL23歳 

23℃

秋の入り口をまだ見つけられていないのに風は容赦なく涼しくて、夏の間に買っておいたパーカーを羽織って少しだけ歩いた。

 

季節を嗅ぎたくなったからお香を炊くのは勿体なくて、窓を開けてみた。忙しない列車の音とタイヤの音がしただけでただの午後だった。

 

秋に決まって悲しくなるのは何故なのか今年も分からない。そこに夏があったからかな。

 

たまに死んだ親友の夢を見るけれどついに夢であってもあの子は死んだままだったし、母親の悲しみにも触れてしまった。

 

3年前と違って死にたいなんて思わなくなったけれどあの頃に戻りたくないな、とは思う。

人生必ずどうにかなるけれどそんな無責任なこと人には言えない。

 

秋になると出会いより別れの方が多い気がして少し悲しい。それらを私は追わないけど、秋は容赦なく襲ってくる。

 

そんなことより一生眠たいのは何のせい?

おやすみ、こわい夢を見ないように。

ブランド物のバッグをせっかく買っても汚してしまうし、自分の雑さや生き方に時々心底うんざりする。

例えば青学に通ってスタバでバイトして腰掛けOLをやって商社マンと付き合ってすぐ結婚するような人生に猛烈に憧れるのに、現実は違いすぎて早起きのひとつも出来ない自分がいる。一体どうなっているんだ、ともう一人の自分がいたら問い詰めたい。

昔と違って9割の日は機嫌が良いけれど残りの1割がしんどすぎて自分が明るい人間なのか暗い人間なのか分からなくなる。

お金を貸した相手に逃げられてからなのか、最近優しさに臆病になっている気がする。

ある時、小さい子供と手を繋ぎながら片方の手ではベビーカーを持って階段を下っていた外国人の母親がいて、力を貸そうかと思った瞬間、仮に迷惑で怒られたりトラブルになると嫌だと思って通り過ぎてしまった。またある時は目の前の人が落としたタオルを拾おうと思った瞬間、汗が染み込んでいて嫌だからと拾わずに知らんぷりしてしまった。こんな所で懺悔したって意味無いのに。

自分のことがダメダメでもせめて他人には優しい人でありたいのに。

こういう時は変な夢ばかり見て嫌だなあ。

おやすみ、こわい夢を見ないように。

 

 

中学から大学まで私立の女子大に通わせてもらった。

母曰く、「男は賢い女の子が好きだけど、自分よりちょっと下の子がいいんだよ」と。

言われる度私は湧き出る不満を押し殺した。言う通りにすると、上手くいくんだと思うことにしていた。

「親世代や上司世代のウケがいいからこの大学に行きなさい」

とも言っていた。

就職しても、「女の子なんだからすぐ辞めていいんだよ」と言われた。

そして、「早く養ってくれる旦那が見つかるといいね」と。

愛されているけど時代錯誤だし、私が勉強をもっとしたいと言っていたら可愛くないと止められていたんだろうか。

本当はもっと強くなるために学びたかった。

いつまでこんな事を言っているんだろうか私は。親と話す時の違和感の正体に気付いてから、一人暮らしをひたすら目指していたし、今の距離感がちょうど愛せる。自分を守るのは自分だけでいいのかもしれない。知らない事が多すぎるから、ずっと学んでいたいなあ。

おやすみ、こわい夢を見ないように。

7月

人を殺した、とかじゃないけれど、

過去にやった事や、やられた事を思い出して、嫌になることがある。

外面ばかり褒められるけれど、全然綺麗じゃない生き方をしているし、誰にもいえないトラウマってみんなはどうしてますか。フラッシュバックが鬱陶しいよ。

もしも、そんな思い出とか、過去を宇宙に持っていけて、壮大な宇宙のゴミの中のちっぽけなひとつになったとしても、なかった事にはならないのが、私は堪らなく嫌だ。

こんな朝は特にそうだし、うだるような暑さがそんな馬鹿みたいな思考を後押ししている気がする。まあ、クーラーが効いた部屋の中で書いているのだが。

夏でも食欲が無くなったことが無い私がここ数日何となく食欲がなくて、これを機にダイエット出来れば良いな、と気楽に考えようとしているから、阿呆で良かった。

多分栄養が足りなくて口角炎で口の端が痛いし、口内炎も出来ている、爪もすぐ折れる。

身を繕うものがボロボロだけど、それ以上に内側の内側がダメで、ネイルの予約が一生取れなかったりする。

毎年夏に風邪をひくけれど、今年はひかないといいなぁ。

夏は好きだけどたまにダレて怠くなる。

部活の夏練とか夏期講習とか夏休みとか、学生時代の事ばかり思い出して胸が苦しくなる。

十代特有の青さで夏を過ごしていた頃、空はもっともっと青くて高くて雲ももくもくしていて昼食の素麺とスイカが美味しかった。幸せだった。

でももちろん、今もちゃんと幸せ。夏を生きよ、

天才的なアイドル様

私はアイドルが異常なまでに苦手、というか嫌いまであるのだが、これは完全に幼少期からの母親の影響である。

我が家ではアイドルがテレビに出ていると直ぐにチャンネルを変えていたし、私も変えなきゃいけないんだ、と思っていた。こんなのが日本の音楽シーンで上位独占してるなんて終わってる。みたいなことを常々母親は言っていた。歌が下手なのに容姿だけで音楽と名乗っているのがすごく気に食わなかったようだ。

幼心に私は、アイドルは悪い存在なのだと思うようになった。

なんだかその呪縛が今でも解けなくて、歌が上手いアイドルがいても、何故歌手ではなくアイドルとして活動しているのだろう。と疑問に思ってしまう。

「チヤホヤ」に対して嫌悪感があるのかもしれない。容姿だけでチヤホヤされることを今でも悪だと思ってしまう。褒める人も、褒められる人も卑しいと思ってしまう。異常に中身にこだわってしまっている。

店に立っているとよく褒めていただけるけれど、たまに私はその場の空気に耐えられなくなってしまう。場の空気が私だけに集まることが居心地が悪いのかもしれないし、私の不細工な中身を知らないくせに、なんて偉そうな事を思ってしまっている。大抵の場合、言葉は表面を滑り落ちるから、表面だけを褒めたりすることを多分無意味だと切り捨てている。

本当は死ぬほど嬉しいのにね。

褒められたくて堪らない自分に気付いている。

小さい頃の私は、きっとアイドルになりたかったんだと思う。

か弱い男が歌う女々しいJ-POP

メンヘラこそヒップホップを聴け!

そして歌詞にくらって欲しい。

私が好きなヒップホップのリリックは、自分は最強だという自信に溢れていて、欲しい物を全部手に入れて隣にはエロい女と最強な仲間もいる、なんてものばっかりだ。もちろん繊細な感情を歌ったダウナーな曲も多いが、アーティストなんてみんな弱い部分をもってるし、だからこそ繊細な音楽表現ができるんだと思う。でも、批評を「は?お前が頑張れ似非評論家」と言えるメンタルを私は持っておきたいのだ。

小休憩

小さい頃から、自分は変な子供であるという、根拠は無いが計り知れない自我があった。それはただの自我で、誇りではなかったから、いつも自信がなかったんだと思う。

変な子供だったけどいじめられたりしなかったのは、私がそれなりに努力したからだと思う。いじめられる側に問題がある、という人は批判されるが、問題はなくてもきっかけは必ずあるはずだ。あ、この子いじめよう、と思わせる何かが。

いじめられなかった人は、少なくとも私は、きっかけを作らないように必死だった。だって生きてきた中で今が1番気楽だ。小学生の頃は息が詰まった。変な子供という変な自我があったけれど、人に合わせないといじめられるから、何かと押し込んでいた。自我はあるのにある意味意思は弱かった。自分の内面と外面とのギャップ。

中学受験のための塾に通っていた時、人気があった若い国語教師がいた。的確に教えるけれど決して冷たくはないし、知性に伴う冷静なユーモアと、どこかには闇を纏っていて、それが魅力だと思った。ある日彼女は生徒の誰かに過去を軽いノリで聞かれて、サラッといじめられていた事を話した。その経緯や、いつまで続いたか。小学生達はその話に怒ったり、励ましたりした。彼女は泣いていた。いじめのきっかけは小学校の登校初日に彼女だけ、違う上履きを履いて来てしまったことだった。きっかけだけ。きっかけだけだと思った。

 

私の母は他人に嫉妬を一切しないと言っている。若い頃から今まで全部持っているから。私はそれを聞いていいなぁ、と嫉妬した。

猛烈なコンプレックスがあってそれが嫉妬に変わらない人って殆どいないから、私は育ちが良い人が好きだ。反骨精神で成り上がる人は本当にすごいと思うが、そのエネルギーが、圧のようなものが、他人に向けられてここまで来たのだと思うと、関係ない私が聞いていても何かが飛んできそうで怖いと思う時がある。

やはり親子なので、今でこそ母親の性質が出てきたが、最初は人と比べてしまう。人と合わせることはほぼしなくなって楽だが、26歳はまだ子供である。

早く大人に、大人のようなものになりたいな。