kikurageoisii’s diary

東京のOL23歳 

小休憩

小さい頃から、自分は変な子供であるという、根拠は無いが計り知れない自我があった。それはただの自我で、誇りではなかったから、いつも自信がなかったんだと思う。

変な子供だったけどいじめられたりしなかったのは、私がそれなりに努力したからだと思う。いじめられる側に問題がある、という人は批判されるが、問題はなくてもきっかけは必ずあるはずだ。あ、この子いじめよう、と思わせる何かが。

いじめられなかった人は、少なくとも私は、きっかけを作らないように必死だった。だって生きてきた中で今が1番気楽だ。小学生の頃は息が詰まった。変な子供という変な自我があったけれど、人に合わせないといじめられるから、何かと押し込んでいた。自我はあるのにある意味意思は弱かった。自分の内面と外面とのギャップ。

中学受験のための塾に通っていた時、人気があった若い国語教師がいた。的確に教えるけれど決して冷たくはないし、知性に伴う冷静なユーモアと、どこかには闇を纏っていて、それが魅力だと思った。ある日彼女は生徒の誰かに過去を軽いノリで聞かれて、サラッといじめられていた事を話した。その経緯や、いつまで続いたか。小学生達はその話に怒ったり、励ましたりした。彼女は泣いていた。いじめのきっかけは小学校の登校初日に彼女だけ、違う上履きを履いて来てしまったことだった。きっかけだけ。きっかけだけだと思った。

 

私の母は他人に嫉妬を一切しないと言っている。若い頃から今まで全部持っているから。私はそれを聞いていいなぁ、と嫉妬した。

猛烈なコンプレックスがあってそれが嫉妬に変わらない人って殆どいないから、私は育ちが良い人が好きだ。反骨精神で成り上がる人は本当にすごいと思うが、そのエネルギーが、圧のようなものが、他人に向けられてここまで来たのだと思うと、関係ない私が聞いていても何かが飛んできそうで怖いと思う時がある。

やはり親子なので、今でこそ母親の性質が出てきたが、最初は人と比べてしまう。人と合わせることはほぼしなくなって楽だが、26歳はまだ子供である。

早く大人に、大人のようなものになりたいな。