私の絶望なんて、せいぜい恋人に浮気された時くらいだ。
それでも、薄味の絶望が、影のようにずっと、人生に付き纏っている気がする。
退屈、という訳でもない裕福な感情で日常を舐める。
24年間で、人は不安だから何かに縋るのだと学んだ。お金でも、宗教でも、恋人でも。
絶対的な安心を手に入れた人は強い。
弱さに蓋をできる人は人生が上手い。
蓋を開け閉めできる人はもっと上手い。
ひたすらに守られて生きてきた子供時代を経て、図体ばかりが大きくなってしまって、自分に見合う蓋が見つからない。
ちょうど良い大きさの蓋を見つけたかと思えば、ものすごく重くて、肝心な時に開けられなかったりする。
煮詰まりすぎて、中身が腐ってしまったら意味が無い。
人生は少し料理に似ているな。
自分自身のお腹を満たすために、薄味の絶望と甘ったれた根性で、ギリギリ食べられる料理を作ってしまう。
一人っ子故なんでも与えられて育った私は、恋人と別れたとき、初めて食欲を失った。
それでも暫くして、日常に戻って行った。
今日も自分のために、生きるために食べる。
食べることは、自分のために生きることだ。
いつか、誰かに美味しい料理を振る舞えるといいな。