kikurageoisii’s diary

東京のOL23歳 

幼い頃、母親が小学校に迎えに来るのが遅れる度、途方もなく長い時間孤独を約束された気になって、とんでもなく不安で悲しくなっていた。母親が途中で事故にあっているのではないか?二度と会えないのではないか?と私の小さい世界のほぼ全てだった母親を失った気持ちになって、でも周りには悟られまいと、よく涙を必死に堪えていた。

いつしか、待っていれば母親は来るから不安になることは無いと自分に言い聞かせ、平気で待てるようになった。でも何故か、いつも少しだけ不安だった。

幼い頃から当たり前が怖い。当たり前じゃない方の可能性を考えて途方もなく不安になってしまう。

駅の階段を降りている時、後ろから突き落とされるのでは無いかと思うし、ホームの端を歩く時も同じだ。でも、むしろすれ違う人がいきなり発狂して刃物を振り回さない事が怖い。秩序なんて不確かなのに、それが保たれていることを前提に、何かを根拠にした安心感もなく、ただ信じて無意識に歩いている、空間に身を委ねている自分が怖い。

臆病なんだろうか。

不確かさに安定感を求めすぎなのは、感情に身を任せすぎな私の悪い癖だと思う。

世界の秩序も、人々の感情も、輪郭があればいいのに。形あるものを信じる方が楽だから。

楽をしたいのだろうか、私は。

私はただ、幼い頃から涙を堪えているだけなのかもしれない。大人になるということは不確かさを認めて諦めて安心感を得ることだろうか。日常に慣れるって、難しい。いつ大人になれるのだろうか。25歳になってしまった。

秋もちゃんと眩しい。季節の輪郭は美しい。