kikurageoisii’s diary

東京のOL23歳 

安心と退屈

安心を買った
どうしてかココロを売って買った気がしてたら
“安心はどこか退屈と似てた”
そんななぜに撃たれていた

 

安心で塗って毎日は流れた
「よかった」
そんな気がしながら
“安心がきっと毎日を似せてる”
ずっとダレてもつれていた

 

私の好きな歌詞の一節だ。

私はよく、例えば体調が悪い時に病院に行って貰った薬を飲んだりする時や、確実に座れるように課金して特急列車に乗ったりする時に、「安心を買う」ことをしているんだなあ。と思っている。お金を出すことで体調が悪化する恐怖や席に座れない不安から逃れる事が出来ている。買ってしまえばそれ以上心で考えることは無い。そういう意味では「心を売って」安心を買っているのだろう。

私は日々、安心を買って安らぎを得ている。

 

 コロナで世の中が大変なことになり、外出自粛が始まってから、形容し難く、非常に強い不安感に襲われている。その正体を考えた時に、安心を買えないからだ、と思った。

お金を出してもコロナにかからない方法はないし流行が終わる兆しはない。

多くの人が、日常が戻ってくることを切望している。

"安心で塗って流していた毎日"は
“安心がきっと毎日を似せて、

ずっとダレてもつれていた"

かもしれない。

でも、「よかった」

そんな気がする毎日が戻ってくることを今はただただ願う。