美しさは、輪郭を失った方が綺麗なのかもしれない。
光には輪郭がない。
六本木、欅坂のイルミネーションを初めて見た時、ひどい近視と乱視で、それはそれは世界が綺麗に見えた。光の粒一つ一つが輪郭を失い重なり合い交差して、目の奥の、なんていうか脳に近い部分、多分涙が溜まる場所に直接美しさを届けた。
光の中にいると自分がとても綺麗になった気がして、写真を撮るよりもずっと、そのぼやけた美しさを見ていたかった。
外見ではなく内面に届く美は輪郭を持たない。
音にも輪郭がない。
ライブハウスで、内臓まで響くような轟音を全身に感じている時、私は重力さえも失った気持ちになって、体を支える力がフッと抜ける、ただ輪郭のない音に全身を任せる。そんな経験を幾度かしたことがある。轟音に包まれた時、私は限りなく心地よい無力になる。
人間の精神の最も美しい状態。
優しさにも輪郭はない。
優しさに数字や確かさを求めた時、ふと私は自分の卑しさに打ちひしがれる。
形の無いものを手渡すという矛盾。
丁寧に作られた優しさを、丁寧に手渡したい。
大切にしたいのに、形を確かめることは出来ない。
だからこそ私達は繊細に作られた優しさという美しさを、人生に散りばめて生きたいのかもしれない。
私は今日も、輪郭のない美しさに気付けるように、美しい人になりたい。